ヴァルター・ブラウンフェルス
ヴァルター・ブラウンフェルス(Walter Braunfels, 1882年12月19日 – 1954年3月19日)はドイツの作曲家・ピアニスト。フランクフルト出身。父親は文学者・翻訳家として有名で、母親は祖父(または大おじ)がルイ・シュポーアであった。
ウィーンでテオドール・レシェティツキーにピアノを、ミュンヘンでフェリックス・モットルに作曲を学んだ。
1923年プロイセン芸術アカデミーの会員に選ばれている。
当時のケルン市長コンラート・アデナウアーから招かれて、指揮者・ヘルマン・アーベントロートと共に1925年からケルン音楽大学を運営し学長を務めたが、ナチスが政権に就くと「四半ユダヤ人」だったため1933年4月に公職から追放され、作品を上演できない状況が続いた。戦後にアデナウアーの呼びかけに応じて公職に復帰し、ドイツ音楽界ならびに音楽教育界の再建に尽力した。カトリック信仰に関連する作品が多い。
1902年
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基本情報 | |
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生誕 | 1882年12月19日 |
出身地 | ドイツ帝国・フランクフルト |
死没 | 1954年3月19日(71歳没) 西ドイツ・ケルン |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家・ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
反応