三木森彦
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 – 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
1890年5月21日、東京府荏原郡目黒村(現在の東京都目黒区)に生まれる。1910年9月11日、旧制東京府立第一中学校より海軍兵学校第40期に150名中120位の成績で入学。同期に大西瀧治郎、山口多聞、吉良俊一、千田貞敏らがいる。1912年7月17日、同校を144名中131位の成績で卒業し、少尉候補生となる。1913年12月1日、少尉任官。1921年4月9日、横須賀海軍航空隊附。5月25日、横須賀海軍航空隊教官兼分隊長兼臨時航空術講習部員に就任。センピル教育団の講習に参加した。
1937年(昭和12年)11月15日、第十二航空隊司令に就任し、支那事変に参加する。1941年(昭和16年)1月25日、海軍省軍務局御用掛兼商工省航空局乗員課長に就任。12月、太平洋戦争が勃発。1945年8月、終戦。
生誕 |
1890年5月21日 日本 東京都 |
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死没 | 1973年7月6日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1912年 – 1945年 |
最終階級 | 海軍少将 |
反応