三笠宮崇仁親王
1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四男子として誕生。3人の兄は何も皇太子の男子として生まれ、早くから「皇孫御殿」に引き取られて養育されたが、崇仁親王はすぐ上の兄である宣仁親王から10歳年下、長兄・皇太子裕仁親王から14歳年下となる末子を手元で育てたいという両親の意向が貫かれ、御所で育てられた。
三笠宮家 | |
1936年、御装束を着用する崇仁親王
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続柄 |
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称号 | 澄宮 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 若杉 |
出生 |
日本・東京府東京市麹町区 (現:東京都千代田区) 宮城内産殿 |
1915年12月2日
死去 |
日本・東京都中央区 聖路加国際病院 |
2016年10月27日(100歳没)
埋葬 |
2016年11月4日 日本・東京都文京区 豊島岡墓地 |
配偶者 | 親王妃百合子(高木百合子) |
子女 |
近衛甯子(甯子内親王) 寛仁親王 桂宮宜仁親王 千容子(容子内親王) 高円宮憲仁親王 |
父親 | 大正天皇 |
母親 | 貞明皇后 |
役職 |
陸軍少佐 貴族院議員 :1935年(昭和10年)12月1日 – 1946年(昭和21年)5月23日 東京芸術大学名誉客員教授 東京女子大学講師 中近東文化センター名誉総裁 日本赤十字社名誉副総裁 他多数 |
反応