中井正清

中井正清

徳川家康に仕えた江戸時代初期の大工で、京大工頭として畿内・近江6カ国の大工を統括した中井家の初代。
初名は藤右衛門。おもな官位は、従四位下大和守。父は法隆寺番匠の中井正吉。
中井正清の若い頃の活動については定かではなく、確かな資料に初めて登場するのは1600年の関ヶ原の戦後、1602年の伏見城本丸作事である。1606年に従五位下大和守に任ぜられて以後は徳川家御大工の地位を独占、以降、二条城、駿府城、江戸城、江戸の町割り、日光東照宮など徳川幕府にかかわる工事のほとんどを担当した。
大工としては異例の出世を遂げた中井正清の子孫たちも代々五畿内の大工頭を務めた。

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