中村一氏

中村一氏

豊臣政権の三中老のひとり(ほかは、生駒親正、堀尾吉晴)。仮名は、孫平次。おもな官位は、式部少輔、従五位下。
中村一氏は、織田信長の家臣だった頃の羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、1573年頃には秀吉から近江国長浜領国内で200石を与えられた。秀吉の家臣として数々の合戦に従軍し大いに武功をあげ順調に所領を増やし、1590年の小田原征伐後には駿河国駿府14万石を領するまでになった。
秀吉からの信頼あつく三中老のひとりに任ぜられた一氏だったが、秀吉没後は徳川家康に接近し、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。だが、本戦が開始する直前に突如病により没した。本戦には一氏に代わり長男・一忠が参加し活躍、その功により戦後伯耆国米子城17万5000石を与えられたが、1609年に一忠が跡継ぎのないまま急死したため中村家は絶えた。
中村一氏にまつわるおもしろい伝説がある。それは一氏が岸和田城主だったときのこと。雑賀・根来衆に居城・岸和田城が攻められ落城寸前にまで追い詰められた。そのとき、大蛸に乗った僧(地蔵菩薩の化身)と数千の蛸がやってきてこの危機を救ったという。

反応