中村広
中村 広(なかむら ひろし、1915年5月10日 – 1997年10月9日)は、日本の競馬騎手、調教師。
1933年に騎手デビュー。初戦から2か月足らずで最高格競走帝室御賞典を制するなど早くから頭角を現す。1936年からは群馬県片品村の素封家千明家(千明牧場)の専属となり、1939年まで騎手兼調教師として帝室御賞典優勝馬マルヌマ、東京優駿(日本ダービー)優勝馬スゲヌマなどを手掛けた。ほか騎手として1943年の横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)をダイヱレク、1954年の天皇賞(秋)をオパールオーキットで制している。1950年度国営競馬[注 1]リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。1955年に史上3人目の通算500勝を達成して騎手を引退し、調教師に転身した。以後1962年天皇賞(春)、有馬記念の優勝馬オンスロート、1967年菊花賞の優勝馬アサカオーなど数々の活躍馬を管理し、1993年に定年引退。調教師通算成績は、騎手兼調教師の時代を含め8269戦999勝。
妻は松竹歌劇団に所属していた市村菊子で、日本中央競馬会 (JRA) の調教師であった中村貢は長男。実兄・中村一雄は第二次大戦以前の名騎手として知られ、引退後は明和牧場々長を務めた。
1915年、長野県埴科郡戸倉村(現・千曲市)に生まれる。実家は村で代々庄屋を務めた裕福な旧家で、父の嘉作は地方競馬で馬主となるなど馬道楽に熱中していた。1930年、更級尋常小学校高等科を卒業。すでに騎手となっていた兄・一雄を頼り、その師匠である阪神競馬倶楽部(阪神競馬場)の美馬勝一厩舎に騎手見習いとして入門した。美馬厩舎では兄弟子となった一雄が事実上の師匠となり、騎乗について厳しい指導を受けた。
騎手時代
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 |
長野県埴科郡戸倉村 (現・千曲市) |
生年月日 | 1915年5月10日 |
死没 | 1997年10月9日(82歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 |
阪神競馬倶楽部 東京競馬倶楽部 日本競馬会 国営競馬 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
美馬勝一・阪神(1930年 – 1935年) 調騎兼業・東京(1936年 – 1939年) 尾形藤吉・東京(1939年 – 1944年) 古野庄三郎・東京(1946年 – 1951年) 見上恒芳・東京(1951年 – 1955年) |
初免許年 | 1932年 |
騎手引退日 | 1955年 |
重賞勝利 | 16勝 |
通算勝利 | 2788戦500勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1955年 |
調教師引退日 | 1993年3月1日(定年) |
重賞勝利 | 39勝 |
通算勝利 | 8269戦999勝 |
経歴 | |
所属 |
東京競馬場(1955年 – 1978年) 美浦T.C.(1978年 – 1989年) |
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