久保田洋史

久保田洋史

久保田 洋史(くぼた ひろし、1949年 – )は、元日産自動車の自動車クラブのひとつPMC・Sに所属していたアマチュアドライバー。スカイライン2000GT-Rのドライバーとして知られる

1970年5月の「全日本鈴鹿1000キロレース」では、70年当時のGT-Rプライベーターの雄、箕輪眞治と組み、総合2位、クラス優勝を果たした

1971年からはマツダのロータリー軍団との争いが激化したことに伴って大きなレースにも出る機会が増え、同年9月4日の「富士GCシリーズ富士インター200マイルレース」においてワークスGT-R2台を従えての優勝を飾っている。又この年には、「レース・ド・ニッポン6時間」(4月10日)や「全日本鈴鹿1000キロレース」(5月15日)、「富士1000キロレース」(7月25日)といった耐久レースに、ニッサン大森ワークスドライバー田村三夫や鈴木誠一をコ・ドライバーとして組み自車で戦っている。

1972年10月のレースを最後にワークスGT-Rが撤退した後もGT-Rでレースに出場し続け、1973年7月28日の「全日本富士1000Kmレース」では正谷栄邦と組んで5位入賞を獲得している(クラス優勝)。当時の当レースを紹介した雑誌記事には、次のようにと記されている。<quote>「レース中盤雨脚が強くなり、二台の日産車が躍進した。一台はワークスで唯一生き残っている歳森康師の240Z、そしてもう一台は久保田洋史が駆るオールド・スカイラインGT-Rだ。二台はトップを大幅に上回るペースで狂ったように走り回った。久保田のGT-Rはストレートで左右に振られながらも独特の甲高いエグゾーストノートを撒き散らしながら他車をごぼう抜きして行った。久保田は歳森の240Zをも抜き去り、全盛を過ぎたGT-Rを猛雨の中に復活させた。」</quote>(久保田自身も、当レースは思い出深い一戦であったと後に語っている)

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