久我建通

久我建通

公武合体を模索し和宮降嫁に尽力したため、尊王攘夷派の攻撃対象となった四奸二嬪のひとり(ほか、岩倉具視(左近衛権中将)・千種有文(左近衛権少将)・富小路敬直(中務大輔)、今城重子(少将掌侍)・堀河紀子(右衛門掌侍))。
孝明天皇の厚い信任を後ろ盾に、内裏を掌握し権勢をふるったことから「権関白」とよばれた。
のち尊王攘夷派の睨まれ失脚。明治維新後に赦免され、加茂社司、大教正、皇典講究所副総裁などをつとめた。

反応