仁科関夫
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 – 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。
左が仁科、右は上別府宣紀
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生誕 |
日本 滋賀県大津市 |
1923年4月10日
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死没 |
日本 南洋諸島ウルシー環礁 |
1944年11月20日(21歳没)
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1942 – 1944 |
最終階級 | 海軍少佐 |
反応