伊丹万作

伊丹万作│無料動画│showa 00253 m

「日本のルネ・クレール」と呼ばれ日本映画の礎を築いた映画監督のひとり。脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家としても活躍した。本名は池内義豊。息子は同じく映画監督で俳優、エッセイストの伊丹十三。小説家・大江健三郎は娘婿にあたる。旧制松山中学校を卒業後、「池内愚美」の名で挿絵画家をしていたがあまり売れず、映画監督・伊藤大輔の下で脚本を書くようになり、1928年、片岡千恵蔵プロダクションに助監督兼脚本家として参加、同年、『てんか太平記』で脚本家デビュー、『仇討流転』で監督デビューを果たした。その後、『國士無双』『赤西蠣太』など笑いの奥に独特の風刺を効かせた作品を発表、知性派監督としてその名を知られるようになった。数多くの片岡千恵蔵主演作をはじめ10年間で22本の映画を監督したが、肺結核を患うようになり病床で脚本を手がけた『巨人傳』を最後に38歳で監督を引退した。そして1946年、46歳の若さで他界した。辞世の句は「病臥九年更に一夏を耐へんとす」。エッセイに『戦争責任者の問題』などがある。

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