佐々木到一
佐々木 到一(ささき とういち、1886年1月27日 – 1955年5月30日)は、日本の陸軍の軍人。陸士18期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。陸軍きっての中国通で、蒋介石以下国民党領袖のほとんどと親しく、国民党の革命にも理解をよく理解を示した。人民服(中山装)の考案、デザインを行った事でも有名。
愛媛県松山市生まれ、広島県広島市育ち。本籍は福井県小浜市。佐々木透(陸軍少佐)の長男として生れる。偕行社附属済美小学校、広島一中(現・広島県立国泰寺高校)を経て、1902年(明治35年)陸軍士官学校(第18期)入学。1905年(明治38年)11月卒業。同期に山下奉文大将・岡部直三郎大将・阿南惟幾大将ら。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第11連隊附となる。のち歩兵第71連隊の成立に伴い転出し、第1大隊第1中隊附。
1911年3月、歩兵第71連隊は満州守備を命じられ、佐々木はこの先発隊20人の一人として(先発隊長は第1大隊第3中隊長道正助次大尉)初めて異国の地を踏んだ。同年、初めて陸軍大学校を受験し、初審試験で合格するも、12月の再審試験で不合格。自信を失った佐々木は、蒙古語や中国語を学ぶため、また入れ揚げた芸者のため満州に居残ろうと思い、第五師団から満州の独立守備隊に転属した。
少将時代
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渾名 | 「佐々木蒙古王」 |
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生誕 |
1886年1月27日 日本、愛媛県 |
死没 |
中国、遼寧省 |
1955年5月30日(69歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902 – 1945 |
最終階級 | 中将 |
除隊後 | 満州国協和会理事 |
反応