佐藤孝夫

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佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 – 2005年3月21日)は、宮城県刈田郡白石町出身(台湾生まれ)のプロ野球選手(内野手、外野手。右投右打)・監督・スカウト・解説者。愛称は「バンビ。子息に早稲田大学野球部助監督(2018年就任)の佐藤孝治がいる。

白石高校から仙台鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズへ入団しプロ入り。1年目から24試合連続安打、14試合連続得点(9月7日から10月3日まで。2010年8月6日に巨人の脇谷亮太に更新されるまでセ・リーグ最多記録だった)など、レギュラーとして活躍、打率.265、14本塁打の成績でセ・リーグ新人王を獲得。また、この年盗塁も45個記録しているが、これは1997年に小坂誠に破られるまで、新人選手による盗塁の日本記録であった。

1957年には22本塁打を放ち、本塁打王を獲得。なお国鉄球団においての日本人打者のシーズン本塁打王はこの年の佐藤が最後でヤクルトになってから2015年に山田哲人が同タイトルを獲得するまで長い期間が経っていた。躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で親しまれた。同年、打率.256で打率十傑の10位になっている。この打率は2リーグ制開始以降、現在に至るまで、打率十傑にランクインした中では最も低い数字である。1963年に現役引退。

引退後は、1964年 – 1965年と1967年 – 1981年の2期に渡り国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルトの打撃コーチを務め、一軍打撃コーチを務めていた1978年には球団初のリーグ優勝・日本一に貢献した。1982年から1983年には西武ライオンズ一軍打撃コーチを務め、2年連続リーグ優勝・日本一に貢献。1984年には阪神タイガース一軍打撃コーチを務め、1985年から1986年はフロント入り。1987年から1989年はヤクルトへ復帰し打撃コーチを務めた。その間監督代行としても、ヤクルトコーチ時代の1979年にシーズン途中で辞任した広岡達朗の後を受けて8月18日からシーズン終了まで、阪神コーチ時代の1984年にも急病のため休んだ安藤統男の代行として6月13日から6月15日までの3試合務めた。

佐藤 孝夫
基本情報
国籍 日本
出身地 宮城県刈田郡白石町
生年月日 (1931-08-10) 1931年8月10日
没年月日 (2005-03-21) 2005年3月21日(73歳没)
身長
体重
171 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1952年
初出場 1952年3月21日
最終出場 1963年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • 宮城県白石高等学校
  • 仙台鉄道管理局
  • 国鉄スワローズ (1952 – 1963)
監督・コーチ歴
  • 国鉄スワローズ
    サンケイスワローズ
    サンケイアトムズ
    アトムズ
    ヤクルトアトムズ
    ヤクルトスワローズ (1964 – 1965, 1967 – 1981)
  • 西武ライオンズ (1982 – 1983)
  • 阪神タイガース (1984)
  • ヤクルトスワローズ (1987 – 1989)

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