佐藤正俊

佐藤正俊│無料動画│220px sato masatoshi

佐藤 正俊(さとう まさとし、1886年(明治19年)9月18日 – 1962年(昭和37年)5月3日)は、日本の官僚。香川県知事、三重県知事、名古屋市長を歴任した。

福島県士族佐藤覚之進[* 1]の長男。現在の会津若松市に当たる地域の出身で、会津会会員である。四高を経て東京帝国大学を卒業。文官高等試験に合格し、内務省に入省した。合格者136名には石渡荘太郎や河上丈太郎などがおり、佐藤の席次は29番である

佐藤の官歴は埼玉県属に始まる。福井県の郡長、山梨県理事官、台湾総督府事務官、関東大震災後に設けられた復興局の事務官、兵庫県学務課長、同県書記官・視学官、長崎県書記官・学務部長を経て、秋田県警察部、長野県警察部、福岡県警察部、神奈川県警察部で県警察部長を歴任。山梨県書記官・内務部長を最後に退官し、満州国に招聘されハルビン特別市公署総務所長を務める。1936年(昭和11年)6月、官選の香川県知事に任命され翌年三重県知事に転じ、1939年(昭和14年)3月まで在任。

太平洋戦争最中の1942年(昭和17年)に名古屋市長に就任。戦前最後の市長となった。1946年(昭和21年)11月に退任し、公職追放となる。追放解除後の1951年(昭和26年)に設立された愛知商工信用組合(現愛知信用金庫)の初代理事長に就任し、1956年(昭和31年)まで在任した。1962年5月3日、名古屋市瑞穂区の自宅にて脳軟化症により死去

佐藤 正俊
生誕 1886年9月18日
福島県会津地方(現・会津若松市)
死没 (1962-05-03) 1962年5月3日(75歳没)
愛知県名古屋市瑞穂区(自宅にて)
出身校 東京帝国大学法科大学法律科
職業 香川県知事
三重県知事
名古屋市長
官僚

反応