保田隆芳

保田隆芳

戦後の中央競馬を代表する騎手。現在では一般的となった騎乗スタイル「モンキー乗り」をアメリカから持ち帰り、日本競馬界に革新をもたらしたことでも知られる。また、史上初の八大競争(桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞)全勝利騎手でもある。生涯成績は6143戦1295勝。1936年に騎手免許を取得すると、1938年に18歳8カ月という史上最年少で阪神優駿牝馬を優勝、翌1939年には帝室御賞典(現・天皇賞)と中山4歳牝馬特別を次々と制し、一躍注目騎手となった。戦後は、保田の代表騎乗馬であるハクチカラに騎乗し、東京優駿(現・日本ダービー)、秋の天皇賞、有馬記念とビッグレースを制し、満を辞してアメリカ遠征に挑んだ。結局、目立った活躍もないまま帰国することになったが、このときにアメリカで習得したモンキー乗りを日本に持ち帰ったことは非常に大きな功績である。その後もリーディングジョッキーとして勝利を重ね、1970年、京王杯スプリングハンデキャップを制すると50歳で引退した。その後は調教師となり、皐月賞・有馬記念・宝塚記念を制した名馬トウショウボーイなどを管理した。1995年に競馬関係者として初めて勲四等瑞宝章を受章、没後には正六位を贈られた。

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