傅作義
傅 作義(ふ さくぎ)は中華民国、中華人民共和国の軍人・政治家。民国時代は北京政府、国民政府(国民革命軍)、山西派に属した。中華人民共和国では、長年にわたり水利部長をつとめている。字は宜生。
富農の家庭に生まれる。1910年(宣統2年)、太原陸軍小学に入学した。太原で辛亥革命に呼応した蜂起が発生した際には、学生軍として革命に参加した。
1912年(民国元年)、北京の清河鎮第1陸軍中学に転校する。1915年(民国4年)、保定陸軍軍官学校第5期歩兵科に入学した。同学校での成績は校内第1位であった。1918年(民国7年)に卒業し、山西に戻る。閻錫山率いる晋軍(山西軍)に加入し、軍歴を重ねていった。1926年(民国15年)、第4旅旅長となり、その翌年には第4師師長に昇進した。
『夏寿田,涿州战纪,1929年石印本』(1929年)
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プロフィール | |
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出生: |
1895年6月27日 (清光緒21年閏5月5日) |
死去: |
1974年4月19日 中華人民共和国北京市 |
出身地: | 清山西省蒲州府栄河県 |
職業: | 軍人・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 傅作義 |
簡体字: | 傅作义 |
拼音: |
Fù Zuòyì |
和名表記: | ふ さくぎ |
発音転記: | フー ズオイー |
ラテン字: | Fu Tso-i |
反応