円谷英二

円谷英二│無料動画│showa 00141 m

株式会社円谷特技プロダクションの初代社長を務めた特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家。昭和における特撮技術の第一人者で「特撮の神様」と呼ばれる。本名は円谷英一。幼少期より飛行機に強く憧れ、操縦士になろうと日本機構学校に入学。その後、ひょんなことから映画監督の枝正義郎と知り合い、撮影技師として映画の世界へ足を踏み入れる。1933年に日本公開された『キング・コング』の特撮に衝撃を受け、その技術を徹底的に研究した。東宝に所属し特撮技術を磨いていた円谷の技術がいかんなく発揮された『ハワイ・マレー沖海戦』が1942年に公開されると大ヒット、特撮技師として円谷の名は一躍注目されるようになった。終戦後、公職追放のあおりを受け東宝を辞職、しばらくフリーで活動していたがその後、東宝に復帰、そして1954年、日本初となる本格的特撮怪獣映画『ゴジラ』が公開されるや空前の大ヒットとなり、円谷は再び脚光を浴びるようになった。以降、『モスラ』『キングコング対ゴジラ』『宇宙大戦争』『地球防衛軍』などの怪獣・SF映画で特撮技術を担当しその卓越した技術を見せつけその名を国内外に知らしめた。1963年には株式会社円谷特技プロダクションを設立、TV界に進出し映像技術の革新に乗り出した。それから3年後の1966年、円谷得技プロ製作のテレビ特撮番組第一弾『ウルトラQ』の放映が開始、一気に大人気番組となり日本中に怪獣ブームを巻き起こすきっかけになった。さらに同年放送が開始した特撮番組第二弾『ウルトラマン』も大ヒットしさらなるブームとなった。1970年、静岡県にある別荘にて狭心症により他界した。テレビ映画の企画を最期まで練っていたという。

反応