前野長康

前野長康

豊臣秀吉最古参の家臣のひとりで、但馬国出石城主。実名は、坪内光景。幼名は、喜太郎、小太郎。通称は、将右衛門。おもな官位は、但馬守、従五位下。
前野長康は、豊臣秀吉がまだ織田信長に仕えていた頃からの家臣で、蜂須賀小五郎(正勝)とも親しかったという。また、秀吉によるいわゆる「墨俣一夜城」にも協力したといわれている。秀吉に従い数々の合戦に参加し武功をあげ、その功により但馬国出石に5万3000石を与えられた。また、聚楽第造営の奉行を務めたり、1588年の後陽成天皇行幸の際の饗応役も務めた。
その後、秀吉の養子・秀次付の家老となったが、1595年、謀反の咎により自害となった秀次に連座し自害を命じられ切腹した。

反応