勧修寺晴豊
勧修寺家の十四代当主である公家。
武家伝奏として朝廷と武家との橋渡し役にあったことから織田信長や豊臣秀吉ら戦国大名と交流が深かった。おもな官位は蔵人、権中納言、権大納言、従一位准大臣、贈右大臣。24年間にもわたり武家伝奏を務めた人物で、1580年には織田信長と石山本願寺との和平交渉を行った。
勧修寺晴豊が残した日記『日々記』(晴豊記、晴豊公記)には晴豊が関わった交渉や本能寺の変について詳細に書かれており資料としてたいへん貴重なものである。
勧修寺家の十四代当主である公家。
武家伝奏として朝廷と武家との橋渡し役にあったことから織田信長や豊臣秀吉ら戦国大名と交流が深かった。おもな官位は蔵人、権中納言、権大納言、従一位准大臣、贈右大臣。24年間にもわたり武家伝奏を務めた人物で、1580年には織田信長と石山本願寺との和平交渉を行った。
勧修寺晴豊が残した日記『日々記』(晴豊記、晴豊公記)には晴豊が関わった交渉や本能寺の変について詳細に書かれており資料としてたいへん貴重なものである。
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