半田亘理
半田 亘理(はんだ わたり、1911年(明治44年)8月22日 – 1948年(昭和23年)10月21日)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。
操練19期。最終階級は中尉。黒岩利雄とならび、単機格闘戦の名手と謳われた撃墜王である。
福岡県久留米市に生まれる。1928年(昭和3年)、海軍を志し佐世保海兵団入団。艦船勤務を経て1932年(昭和7年)10月、第19期操縦練習生となる。同期生に磯崎千利。
1933年(昭和8年)3月、同課程を修了し、戦闘機専修。空母「龍驤」飛行機隊に配属される。
その後、大村に転属。在任中、愛国号献納式典で祝賀飛行に参加した。当時部下だった田中国義はその練習中、編隊スローロール等で苦労していたが、半田機は「定位置を微動だにしない、ついて行くのに汗をかいた」と回想する。また、この頃既に望月勇の考案した「ひねりこみ」を習得し、空戦訓練で披露していたといい、伝授を求めたが若年を理由に断られ、のち別の部隊で再会したときに再度教えを乞うたが「田中兵曹に教える事はないよ。私が実戦について教わらなければならない」と、結局教えてもらえなかったという。
37年9月、加賀艦上にて
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生誕 |
1911年8月22日 日本、福岡県久留米市 |
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死没 |
日本、熊本県人吉市 |
1948年10月21日(37歳没)
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1928年 – 1942年 |
最終階級 | 中尉 |
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