句扶孝興こうふこうこう

句扶孝興こうふこうこう

句扶、字を孝興といい、益州巴西郡漢昌県の人である。諸葛亮の北伐に随時した。たびたび戦功をたて、後に、王平に次ぐ功名・爵位を得、官位は左将軍にまで登り、宕渠侯に封じられた。忠誠にして武勇があり、寛大な人がらであったと評され、更に王平に功名とあるが、王平伝に短くその名があるだけで、一族なども一切不明である。『華陽国志』によると、後に張翼・廖化がともに大将軍になると、当時の人は噂して、「前に王平・句扶あり、後に張翼・廖化あり」といった。また、益州の土着名士としてその名がある。これほど実績と爵位を持ちながら詳細な伝がないのは、呉壱(懿)と同じで謎な人物である。呉壱の場合、「季漢輔臣賛」に名はあるが、それすら紹介されていない。

反応