吉子内親王

吉子内親王

霊元天皇の皇女で、7代将軍・徳川家継の婚約者。幼名は八十宮(やそのみや)。生後1ヶ月にして、6歳の幼将軍・家継の婚約者となるが、これは幼い将軍・家継の補佐役である側用人・間部詮房(まなべあきふさ)と儒学者・新井白石が家継の権威付けのために皇女降嫁を計画したものという。しかし、婚約からまもなく風邪をこじらせ家継が死去、皇女降嫁は実現しなかった。吉子内親王は若くして出家、浄琳院宮と号した。墓所は京都市東山にある知恩院。

反応