吉田兼見

吉田兼見

京の吉田神社の神主で吉田神道の神道家。
初名は兼和。おもな官位は従二位神祇大副。細川藤孝(幽斎)は従兄弟で、兼見の子・兼治の妻は藤孝の娘。また、織田信長や明智光秀とも親交が深く、1582年の本能寺の変後、光秀から吉田神社の修繕費として銀50枚をもらったという。なお、この銀はのちに羽柴秀吉に差し出した。
吉田兼見が記した日記『兼見卿記』は織豊時代の第一級資料として貴重なものである。

反応