吉見信一
吉見 信一(よしみ のぶかず、1894年(明治27年)5月22日 – 1988年(昭和63年)5月18日)は、日本海軍の軍人として太平洋戦争を戦った海軍少将。戦後は慶應義塾大学医学部を卒業し、医師として活躍した。
海軍中将・吉見乾海の長男として江田島に生まれる。弟の吉見博之は後に主計大尉となった。祖父の吉見雲台は越後長岡藩医で戊辰戦争で戦死している。小田原中学、広島一中を経て海軍兵学校入校。1915年(大正4年)12月同校卒業(第43期)。同期生に矢野志加三、中澤佑、高木惣吉らがいる。
海軍砲術学校高等科学生を卒業し、「帆風」砲術長、「霧島」分隊長、「対馬」砲術長、「陸奥」分隊長等を経て海軍少佐に進級。「球磨」砲術長、「長門」副砲長、「赤城」砲術長、「澤風」駆逐艦長、「勢多」艦長、「出雲」副長、「山城」副長と艦船勤務が多く、地上勤務は海軍経理学校教官、横須賀鎮守府軍需部員などであった。
生誕 |
1894年5月22日 日本 江田島 |
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死没 | 1988年5月18日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1915年 – 1945年 |
最終階級 | 海軍少将 |
除隊後 | 医師 |
反応