和田京平
和田 京平(わだ きょうへい、1954年11月20日 – )は、全日本プロレスの名誉レフェリー。「和田さん」と呼ばれることはまず無く愛称は「京平(週刊プロレスの選手名鑑では「かっぱ」と表記)」。
中学卒業後、アルバイトや板前など職を転々としていたが、1972年に全日本プロレスが利用していた運送会社のアルバイトとしてリング設営スタッフに参加。当時ディスコにハマっており、プロレス会場でもリング設営中に音楽に合わせて踊っていたところ、それを見ていたジャイアント馬場に「動きがいい」と言われ、推薦されてレフェリーとなった。
ジョー樋口やマシオ駒に師事し、元々持っていた軽快なフットワークを武器にレフェリングを学ぶ。レフェリングデビューは1974年の全日本プロレスの「NWAチャンピオン・シリーズ」。樋口、ミスター林に次ぐ3番手のレフェリーだったが、1980年代後半のジャンボ鶴田と天龍源一郎のシングル連戦(鶴龍対決)でメインイベントのレフェリーを任されるようになり、師匠の樋口が高齢になったことや、林がジャパン女子プロレスに移籍したことなどから、メイン級の試合を本格的に担当するようになる。
「グラウンド状態の選手の上を飛び越える」「選手に飛ばされリングから落ちそうになっても、トップロープとセカンドロープをつかんでくるっと一回転して戻ってくる」(初代タイガーマスクが披露していたフィンタ・デ・レギレテ。レイ・ミステリオの「619」によく似た形)など様々な形で表現される、軽快なフットワークと大きなアクション、正確かつ迅速な判断のレフェリングが評価され、プロレス大賞でも表彰を受けている。特に、1990年代中盤以降、和田がレフェリーを務める試合において、リングアナの「レフェリー、和田京平」のコールのあとに客が発する「キョーヘー!!」の大コールが起きるのがお決まりとなっており、全日本プロレスの名物と言える。さらに、一時期は樋口やレスラーから後に転向した林とともにNWAの公認レフェリーだった時期もある。
プロフィール | |
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リングネーム | 和田 京平 |
本名 | 和田 京平 |
誕生日 | 1954年11月20日(64歳) |
出身地 | 東京都足立区 |
所属 | 全日本プロレス |
デビュー | 1974年 |
反応