唐生智
唐 生智(とう せいち、1889年―1970年4月6日)は中華民国の軍人および中華人民共和国の軍人・政治家。字は孟瀟。湖南省東安県芦洪市鎮生まれ。軍人としての階級は国民革命軍一級上将。
唐生智は中華民国の建国初期から日中戦争が始まるまで、異なるいくつかの重要な職務を担当し、上将の称号を授かった。国共内戦末期には湖南で中国共産党を支持し、それ以後は湖南の軍政機構で湖南省副省長などを務めた。唐生智の四番目の弟唐生明は国民革命軍の中将である。
1937年12月における南京防衛戦の総指揮官であり、中華人民共和国成立以降も大陸に残った。1949年、湖南省知事に命じられ、中国国民党革命委員会の委員、全国人民代表大会の常務委員を歴任した。
唐生智は1914年に保定陸軍士官学校を卒業後、辛亥革命、護国戦争、護法運動、北伐戦争など中華民国建国初期の重要な戦争に参加した。
『最新支那要人伝』(1941年)
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プロフィール | |
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出生: |
1889年10月12日 (清光緒15年9月18日) |
死去: |
1970年4月6日 中華人民共和国湖南省長沙市 |
出身地: | 清湖南省永州府東安県 |
職業: | 軍人・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 唐生智 |
簡体字: | 唐生智 |
拼音: |
Táng Shēngzhī |
和名表記: | とう せいち |
発音転記: | タン ションジー |
ラテン字: | T’ang Sheng-chih |
反応