堀内豊秋

堀内豊秋

堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年(明治33年)9月27日 – 1948年(昭和23年)9月25日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。

旧制熊本県立濟々黌中学校より海軍兵学校第50期入校。席次は入校時298名中283番、卒業時272名中156番。堀内は第十三期飛行学生(艦上機班)となったが飛行作業中に車輪止め位置を直そうと駆け寄りプロペラ接触、二日間意識不明の重症を負い二ヶ月間程治療後、飛行場に出るも教官から次期飛行学生に編入されると告げられ憤然とし「次期編入であれば飛行学生を辞めます」と立ち去ったという。このため砲術専攻へ転科し、のち駆逐艦や巡洋艦の砲術長を歴任した。

岡山市内で訪日デンマーク人達の体操術を見学したことで、デンマーク体操に開眼。自身の体験でも効果が現れたことから、デンマーク体操を取り入れた体操を研究し、堀内式海軍体操を考案。1944年(昭和19年)には体育研究指導の功績により海軍大臣表彰を受けた

生誕 1900年9月27日
日本 熊本県飽託郡川上村
死没

(1948-09-25) 1948年9月25日(47歳没)
オランダ領東インド

メナド

所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1923 – 1945
最終階級 海軍大佐
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