堀部弥兵衛

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江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとりで最高齢となる77歳の義士。弥兵衛は通称で、名は金丸(かなまる)。本姓は近江源氏。家紋は四ツ目結二ツ。同じく赤穂浪士のひとりで「高田の馬場の決闘」で名高い堀部安兵衛(武庸)は養子。浅野家の譜代の家臣である堀部家に生まれ、若い頃から赤穂藩士として浅野長直、長友、長矩の3代に仕えた。主君・長矩が江戸城で刃傷事件を起こした時はすでに隠居し家督を養子の安兵衛に譲って江戸にいたが、養子の安兵衛とともに急進派の中心となって「浅野内匠家来口上書」の草案を書いた。吉良邸討ち入り時は表門の警護を担当、捕らえた吉良家門番の監視も行った。討ち入り後は熊本藩・細川家屋敷にお預けとなり切腹。辞世の句は「雪はれて思ひを遂ぐるあした朝かな」「品もなく活きすぎたりと思ひしに今かちえたり老いのたのしみ」。墓所は主君・長矩や赤穂浪士たちと同じ高輪の泉岳寺。

反応