大久保藤五郎

大久保藤五郎

戦国時代から江戸時代前期の武士、治水家。「藤五郎」は通称で、名は忠行(ただゆき)。通称はほかに主水(もんと)。三河国に生まれ、幼い頃から徳川家康に仕えたが、1563年(永禄6)に起きた三河一向一揆で鉄砲の弾を受け負傷、歩行が不自由となった。以後、藤五郎は戦役を免除され三河国上和田に住んだ。1590年(天正18)、江戸入りする家康はそれに先立ち、藤五郎に江戸の飲料水確保を命じた。これを受け藤五郎はわずか3カ月余りで小石川上水(のちの神田上水)を完成させた。この功により藤五郎は家康から「主水」の名を与えられた。「主水」は普通「もんど」と読むが、水は濁りを嫌う、ということから大久保家では代々「もんと」と読むよう命じられたという。また、名馬「山越」を与えられ、足が不自由な藤五郎は異例の江戸城内での乗馬が許されるという特権が与えられた。また、藤五郎は武将としては珍しく菓子づくりを得意とし、毒殺を恐れていた家康も藤五郎のつくる菓子だけは好んで食したという。この特技から藤五郎はのちに幕府御用達の菓子司となり、子孫も代々、菓子司として江戸城内での行事に使用する菓子類の製作を采配した。墓所は東京都台東区谷中にある瑞輪寺。

反応