大原重徳

大原重徳

幕末の尊皇攘夷派の公家。通称は常麿。孝明天皇に重用された。日米修好通商条約調印の勅許を求める幕府に岩倉具視らと反対し、一時、謹慎を命じられた。1862年(文久2)には幕府に政治改革を求める勅使となり、薩摩藩兵に警護され江戸へ赴き、攘夷の決行や徳川慶喜(当時は一橋慶喜)と松平春嶽の幕政参加を了承させた(文久の改革)。その後、朝廷内にて親幕派公家の追放を企てるが失敗し幽閉された。のち許され、明治新政府では参与・議定などを務めた。

反応