孝蔵主

孝蔵主

豊臣秀吉の正室・高台院(ねね)付の高級女中。「孝蔵主」は上臈としての名で、実名は不明。生国は諸説あり。
父は蒲生氏家臣・川副勝重。高台院に仕え始めた時期については不明だが、秀吉が関白となった頃には奥向きの責任者となっていたと思われる。大坂城内で絶大な権力を持ち、1590年の小田原征伐の際は伊達政宗に秀吉の代理として書状を送るなど政治的にも大きな発言権を持っていた。1598年に秀吉が没すると、高台院とともに大坂城を出て京に住んだ。一方で徳川氏とも深いつながりを持っており、1614年大坂冬の陣勃発直前に突如、高台院のもとを去り江戸へ移った。こうした行動に出た理由については諸説あり、孝蔵主の真意は謎である。
江戸に移った孝蔵主は徳川秀忠に仕え、1625年には河内国に200石を与えられた。

反応