安島直円

杉田玄白

江戸時代中期の和算家、財政家、出羽国新庄藩の藩士。本姓は藤原、仮名は万蔵、字は伯規、号は南山。「直円」という名は父が数学者として大成することを願って命名したもの。江戸時代の日本における数学の発展に大きく貢献し、天才和算家・関孝和と並んで“和算の二大焦点”と後世で評されることも。父は新庄藩の江戸藩邸で会計責任者を務めた安島庄右衛門清英で、直円は江戸にある新庄藩邸にて生まれた。父が勘定方だったことから直円も幼い頃より和算に親しみ、江戸の和算塾「入江塾」に入塾、その後、関流の和算家・山路主住に師事し和算の研究にまい進した。父の死後、家督を相続した直円は藩の御勘定頭・郡奉行として藩財政を担うかたわら、数学への挑戦問題「遺題」を解き研鑽に励んだ。直円の研究で知られるものとして、円周率や旧の体積・表面積を求める「円理」の分野で「弧背術解」を使ったことや、幾何学において「安島・マルファッティの定理」や「ケーシーの定理」など円と多角形が接する際にその大きさを求める問題の解法を西洋に先駆けて発見したことがある。また、暦にも精通し、編暦計算の指標となる『授時暦便蒙(じゅじれきべんもう)』などの書も残した。江戸藩邸にて没。墓所は東京都港区三田にある常林寺や山形県新庄市にある桂嶽寺など。なお、月面には直円の名にちなんだ「ナオノブ(NAONOBU)」というクレーターが存在する。

反応