安江仙弘
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年1月12日 – 1950年8月14日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍大佐。
松本藩士・台湾総督府官吏、安江仙政の長男として秋田県秋田市の平田篤胤の生家で生れる。京華中学校、陸軍中央幼年学校を経て、1909年5月、陸軍士官学校(21期、同期には石原莞爾、樋口季一郎等がいる)を卒業。
1918年シベリア出兵に参戦し、シベリアでグリゴリー・セミョーノフなど白衛軍の将校と接しているうちに、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義の古典の存在を知り、日本に帰国後同書を翻訳。1924年、包荒子のペンネームで『世界革命之裏面』という本の中で初めてこの本の全文を日本に紹介した。忠君愛国の精神で育った安江らにとって、ロシアの君主制の短期間の崩壊は驚愕であり、それを「合理的に」説明する理由が必要だったのである。
生誕 |
日本 秋田県 秋田市 |
1888年1月12日
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死没 |
ソビエト連邦 ハバロフスク |
1950年8月14日(62歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1906年 – 1945年 |
最終階級 | 陸軍大佐 |
反応