富田六郎

富田六郎│無料動画│150px tomita rokurou

富田 六郎(とみた ろくろう、1920年6月22日 – )は、日本の競馬騎手、調教師。

1937年に騎手デビュー。兵役を経て、太平洋戦争後に障害の最高競走・中山大障害で2勝を挙げる。1957年より調教師に転じ、1987年の宝塚記念など重賞8勝を挙げたスズパレードなどを手掛けた。1996年に引退。日本中央競馬会調教師であった富田一幸は長男。

1920年、福島県田村郡要田村(現・三春町)に、8人兄妹の末子として生まれる。両親を早くに亡くし、小学生時分から次兄夫婦のもとで育った。高等小学校を経て福島商業学校に進んだが、校庭に生えていたクルミの実を無断で獲っているところを見咎められ停学処分となり、これを機に中退する。競馬好きだった兄の勧めで騎手を志し、一度は中国・大連の競馬場に行くことが決まったが、福島競馬場の職員から危険であると止められ断念。その後、ひとりの調教師に入門を断られたのち、兄の知人であった旅館主人の紹介で東京競馬倶楽部(東京競馬場)に所属する中村一雄への弟子入りが決まった

1937年より騎手としてデビューしたが、中村厩舎には兄弟子が多かったこともあり騎乗機会に恵まれず、さらに1941年からは兵役に就いた。中国の戦線を転々とし、終戦後は一時中国軍の捕虜となったが、1946年春に帰国。戦中に休止されていた競馬が同年秋から再開され、富田は高木良三厩舎に所属して騎手として復帰。しかし以後も騎乗機会を求めて所属厩舎を頻繁に替えた。見上恒芳厩舎に所属していた1952年、カツシロで中山大障害(春)を制し、重賞初制覇を果たす。翌1953年より一時フリーの身となり、1954年に同厩舎のギンザクラで再び大障害を制した。1956年に日本中央競馬会が発行した『騎手銘鑑』において、富田は「騎乗技術優秀、現在は体重もあるので、主に障害騎手として同厩の名手本田騎手と双璧をなしている。運動神経の発達した闘志旺盛のベテラン」と評されている

騎手時代
基本情報
国籍 日本
出身地 福島県田村郡要田村
(現・三春町)
生年月日 1920年6月22日
身長 160cm(1956年)
体重 56kg(〃)
騎手情報
所属団体 東京競馬倶楽部
日本競馬会
国営競馬
日本中央競馬会
所属厩舎 中村一雄・東京(1935年-1941年)
(兵役、1941年-1946年)
高木良三・東京(1946年-1948年)
鈴木菊松・中山(1948年-1950)
古野庄三郎・東京(1950年-1951年)
見上恒芳・東京(1951年-1953年)
フリー(1953年-1954年)
矢野幸夫・中山(1954年-1957年)
初免許年 1937年
騎手引退日 1957年
重賞勝利 2勝
通算勝利 106勝
調教師情報
初免許年 1957年3月1日
調教師引退日 1996年2月29日(勇退)
重賞勝利 12勝
G1級勝利 1勝
通算勝利 5681戦470勝
経歴
所属 中山競馬場(1957年-1978年)
美浦T.C.(1978年 – 1996年)
テンプレートを表示

反応