小山田庄左衛門

小山田庄左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしお家断絶となると、大石内蔵助派として行動し早くから義盟に参加していた。江戸では堀部安兵衛と同宿し、吉良方の動向を探索するなど活動していたが、同志・片岡源五の金と小袖を盗んで逐電してしまった。赤穂浪士たちが討ち入りを果たしたあと、息子の脱盟を知りこれを恥じた庄左衛門の父は切腹した。その後、1721年(享保6)に江戸は深川万年町で医師・中島隆碩なる者が下男に殺害される、という事件が起きた。この殺された中島という医師は小山田庄左衛門だったといわれるが真相は不明。なお、この事件は講談『直助権兵衛』となって知られる。

反応