小町定
小町 定(こまち さだむ、1920年(大正9年)4月18日 – 2012年(平成24年)7月15日)は太平洋戦争期の大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員。最終階級は海軍飛行兵曹長。
太平洋戦争において真珠湾攻撃から終戦まで大戦の全期間を戦い、生き抜いた歴戦のパイロット。空母「翔鶴」の戦闘機隊員として、太平洋戦争前期の主要な作戦ほとんどに参加した。岩本徹三飛曹長、熊谷鉄太郎飛曹長らとともに三号爆弾(三号特爆)による対編隊爆撃機迎撃の名手であった。1944年(昭和19年)3月には、被弾してガソリンを噴きながらもB-24を迎撃し続けた功により特別善行章一線を付与された。
1944年(昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加するため、零戦15機の編隊でトラック島からグアム島に移動したが、グアム島の上空を制圧していた米機動部隊のグラマンF6Fに着陸寸前に襲撃され、海面に不時着して顔や手足に大火傷を負った。グアム島の日本軍は同年8月までに玉砕したが(グアムの戦い)、小町は負傷から数日後にグアム島からトラック島に一式陸上攻撃機で救出され、トラック島から病院船氷川丸で内地に帰還して入院治療を受けた。2か月後に退院し、峰山海軍航空隊に教員として赴任、着任の直後に飛行兵曹長に進級して教官となり、練習生の指導にあたった。
小町は、操縦練習生時代の班長が、当時の海軍では当たり前だった体罰を小町たちに一切加えなかったことを徳とし、教育部隊での教え子に、体罰を一切加えなかった。
1942年初頭、空母「翔鶴」にて
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生誕 |
1920年4月18日 石川県 |
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死没 | 2012年7月15日(92歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 |
1938年 – 1945年 真珠湾攻撃 セイロン沖海戦 珊瑚海海戦 第二次ソロモン海戦 南太平洋海戦 ソロモン諸島の戦い トラック島空襲 マリアナ沖海戦 |
最終階級 | 海軍飛行兵曹長 |
反応