小谷正勝
小谷 正勝(こたに ただかつ、1945年4月8日 – )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。関東地区を拠点とするセ・リーグ3チーム(大洋→横浜、ヤクルト、巨人)すべてでコーチを務めた人物である。
明石高校から國學院大に進む。東都大学リーグでは、1年生の1964年春季リーグで最下位に沈み、亜大との入替戦にも敗れ二部転落。その後も低迷し、在学中の一部返り咲きはならなかった。しかし本格派右腕投手としての評価は高く、1967年のドラフト1位で大洋ホエールズに入団。
1970年から大洋初の専任ストッパーに転向、当時はセーブが存在していなかったため、晩年の6セーブしか記録されていないが、1970年 – 1971年と2年連続して50試合以上に登板、防御率2.11、2.13と安定感を見せた。1971年のオールスターゲームでは阪急西宮スタジアムで行なわれた第1戦で5番手として登板している。この試合はオール・セントラル投手陣が江夏豊の9連続三振を皮切りに渡辺秀武、高橋一三、水谷寿伸と繋いでオール・パシフィック打線を無安打に抑えていた。小谷は8回1死から登板して打者8人を相手に4三振を奪うなど無安打に抑えて試合を締めくくり、日本のオールスター史上唯一のノーヒット・ノーランに貢献している。現役時代、オールスターゲームに出場したのはこの試合だけである。
1975年9月15日の阪神タイガース戦、1対1の同点で迎えた延長12回裏阪神の攻撃で、三塁走者の末永正昭がホームスチールを敢行した。これにあわてた捕手福嶋久晃は小谷の投球をホームベース上に飛びついてキャッチし、打者の池辺巌と接触してしまった。この場合捕手に打撃妨害がつくが、三塁走者のホームインはなぜか投手のボークとして記録され、小谷は無実のサヨナラボークを記録した。これは小谷が記録した唯一のボークである。
千葉ロッテマリーンズ二軍投手コーチ時代、ロッテ浦和球場にて
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県明石市 |
生年月日 | 1945年4月8日(74歳) |
身長 体重 |
178 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1967年 ドラフト1位 |
初出場 | 1968年5月25日 |
最終出場 | 1977年7月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
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コーチ歴
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反応