小野了 (海軍軍人)

小野了 (海軍軍人)

小野 了(おの さとる、1915年(大正4年)3月15日 – 2001年(平成13年))は、大日本帝国海軍の軍人、艦爆・戦闘機搭乗員。

操練23期。最終階級は中尉。終戦までの総撃墜数は8機(公認、うち中国3機)。工藤重敏上飛曹と並び夜の王者と称された

大分県出身。1932年(昭和7年)、海兵団に入団、機関兵として大村海軍航空隊勤務中、操縦員を志望し1933年(昭和8年)9月、操縦練習生となる。翌年4月に課程を修了し、艦爆操縦員の二等航空兵として大村空に配属。龍驤、加賀飛行機隊、霞ヶ浦海軍航空隊を経て、日中戦争勃発後の1937年(昭和12年)8月、加賀に艦爆要員として配属、九六式艦上爆撃機を操縦し華中・華南への爆撃任務に従事。

1938年(昭和13年)4月13日、白雲飛行場空爆に第一攻撃隊第2中隊第3小隊長機操縦員として参加(小隊長は同乗者の吉田清治一空曹)、中国空軍のグロスター グラディエーター18機(第5大隊第28中隊9機、独立第29中隊9機)と交戦、1機を撃墜したとされるが、戦闘詳報には撃墜報告はない。同年、第十五航空隊に配属される。

7月18日、南昌青雲譜飛行場攻撃(艦爆隊指揮:松本真実少佐)において小川正一中尉、浜之上勝男三空曹、徳永有二空曹ら3機と強行着陸し、残存飛行機5機を焼き討ち。支那方面艦隊司令長官・及川古志郎中将より感状を得る。この出来事は国内で大きく報道され、藤田嗣治の絵の題材にもなった。また、この攻撃で2機を撃墜している

加賀飛行機隊所属時代
渾名 夜の王者
生誕 1915年3月15日
日本、大分県
死没 2001年
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1933年 – 1945年
最終階級 中尉
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