岡部元信

岡部元信

今川家の家臣で、武勇の誉れ高い岡部家の出身。
通称は五郎兵衛。別名は長教、元綱、真幸。官位は丹波守。
岡部元信は今川義元に仕え、遠江・三河平定に多大なる尽力をした。対織田軍の最前線である鳴海城の守将を任された元信は、1560年の桶狭間の戦いで主君・義元が織田信長に討ち取られたあとも鳴海城にて徹底抗戦を続けた。
だが、信長との交渉の末、義元の首の引き渡しを条件に開城した。駿府への帰途、手柄のないまま帰ることを嫌った元信は織田方の刈谷城を攻撃し城主・水野信近を討ち取っている。義元の跡を継いだ子・氏真が武田信玄によって駿府を追われると元信は降伏し、以後、信玄の家臣となり遠江国高天神城の守将に任ぜられた。
だが、1581年、徳川軍の猛将・本多忠勝、榊原康政らに攻め込まれ高天神城は落城、敵陣に斬りこんだ元信も討ち死にした。

反応