市川房枝

市川房枝│無料動画│showa 00473 m

婦人参政権など男女平等のために尽力した女性運動家。参議院議員。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学の前身)に在学中、良妻賢母教育に反対して同級生と授業をボイコットしたことがある。卒業後、名古屋新聞(現・中日新聞)の記者となった。1919年には平塚らいてうと共に日本発の婦人団体「新婦人協会」を設立、1924年には「婦人参政権獲得期成同盟会」(のち婦選獲得同盟)を結成し婦人参政権獲得のため精力的に活動を展開した。戦後、「戦後対策婦人委員会」を組織、さらに戦後初の婦人団体「新日本婦人同盟」を結成し変わらず女性の参政権獲得に奔走、1945年12月17日、ついに努力が実り婦人参政権(男女普通選挙)が実現した。1953年には参議院に当選、その後通算25年間政治家として活動し、議員在職のまま心筋梗塞のため他界した。当時国際基督教大学で講師を務めていた緒方貞子を国際連合の仕事に加わるよう誘ったのは市川である。また元首相の菅直人はかつて市川の選挙スタッフ・事務長を務めたことがある。

反応