張治中

張治中

張 治中(ちょう じちゅう)は中華民国の軍人。国民政府(国民革命軍)の将軍である。最終階級は二級上将。旧名は本尭。字は文白

保定陸軍軍官学校を卒業し、黄埔軍官学校では学生団団長、学生総隊隊長、軍官団団長を務めた。中国国民党の北伐に参加し、武漢軍分校教育長兼学兵団団長を務める。

1932年(民国21年)の第一次上海事変では第5軍軍長を務め、1937年(民国26年)には第9集団軍司令官として第二次上海事変に参加した。同年11月、張治中は湖南省政府主席に就任した。しかし、日本軍の攻撃が近いという間違った判断から、張が重要な建物の破壊を命じると手のつけられない火災となり(長沙大火)、この事件の責任は張にあるとして、解任された。1940年(民国29年)、国民党軍事委員会政治部部長兼三民主義青年団書記長を務める。

1945年(民国34年)、張治中は、国民政府軍事委員会委員長西北行営主任兼新疆省政府主席を務める。中国共産党との重慶での和平交渉では、国民党代表となった。1949年(民国38年)1月、代理総統李宗仁の指示により、国民党側の和平交渉代表団となり、北平で共産党との和平交渉を行ったが、失敗に終わる。そして張は、そのまま北平に留まり、共産党政権への参加意思を示した。

Who’s Who in China Suppl. to 4th ed. (1933)
プロフィール
出生: 1890年10月27日
(清光緒16年9月14日)
死去: 1969年4月6日
中華人民共和国北京市
出身地: 清安徽省廬州府巣県
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字: 張治中
簡体字: 张治中

拼音:

Zhāng Zhìzhōng
和名表記: ちょう じちゅう
発音転記: ジャン ジージョン
ラテン字: Chang Chih-chong
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