張継 (民国)

張 継(ちょう けい)は中華民国の政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、中国国民党でも要職をつとめた。西山会議派に参加するなど国民党内反共右派の人物としても知られる。旧名は。字は溥泉。祖籍は山東省。

地主の家庭に生まれる。16歳の時に蓮池書院で学び、1899年(光緒25年)、日本に留学して東京善隣書院、東京専門学校(後の早稲田大学)で政治経済を学ぶ。ルソーの思想の影響を受け、反清活動に参加し、1902年(光緒28年)に孫文(孫中山)と知り合っている。翌年、弁髪を切り落としたことを清朝の留学生監督官に咎められ、帰国を強制された。

帰国後、上海で、章炳麟らと雑誌『蘇報』を創刊したが、まもなく発禁処分に遭い、『国民日日報』を改めて創刊した。1904年(光緒30年)、湖南省に赴いて黄興の活動に加わったが、高官襲撃事件の容疑者として清朝に一時拘留されてしまう。釈放後、日本に再び赴き、留学生会総幹事となった。翌年、張継は中国同盟会に加入して同盟会本部司法部判事となる。さらに機関報『民報』の編輯人兼発行人となり、梁啓超ら立憲派との論争を行った。1908年(光緒34年)、フランスに向かい、李石曽らと雑誌『新世紀』を創刊した。この頃の張継は、無政府主義に傾倒している。

Who’s Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1882年8月21日
(清光緒8年7月初8日)
死去: 1947年(民国36年)12月15日
中華民国(国民政府)南京市
出身地: 清直隷省天津府滄州
職業: 政治家
各種表記
繁体字: 張繼
簡体字: 张继

拼音:

Zhāng Jì
注音二式: Jhāng Jì
和名表記: ちょう けい
発音転記: ジャン ジー
ラテン字: Chang Chih (Chang Ki)
テンプレートを表示

反応