微崇子和びすうしわ

微崇子和びすうしわ

微崇は、字を子和という。もともと姓は李であったが、世の中が乱れるようになると変えた。『易』や『春秋左氏伝』を治め、加えて讖緯の学にも精通していた。会稽に隠遁して、みずから耕して心のままの生活をおくった。微崇に心を寄せる者たちがやってきて学問を受けたが、教えるのは数人だけで、それ以上になると弟子入りをことわることにしていた。学生たちの学業が一人のこらず大成するように願って、弟子を多くは取らなかった。厳畯が、微崇の行いは人々を励ますに足り、その学問は師と仰ぐに足りるとして推挙した。はじめて太子の孫登に目通りしたときは、病気であるので拝礼をせずともよいという特別の許可を受けた。東宮の官僚たちはみな彼に助言を求め、太子はしばしば、珍しい伝聞があると、微崇の意見を求めた。年70で微崇は死去した。微崇が交わりを結んだのは丞相の歩隲といった人物たちで、その交わりはみな心のこもったものであった。

反応