戯志才ぎしさい

戯志才ぎしさい

戯志才といい、豫州潁川郡の人である。曹操が許昌にて献帝を擁した際に、策略に優れた人物として荀彧に推薦された。曹操は戯志才をみて重用して、常に相談役とした。しかし早くに亡くなってしまい、曹操はその死を嘆いた。曹操は、戯志才の死を惜しみつつ荀彧に手紙を送り「彼が死んで策略を相談できる相手がいなくなった。貴公の出身である潁川には優れた人物が多い。誰か彼を継ぐ人物はいないか」と問うと荀彧は、郭嘉を推薦した。荀彧は、『世俗との交流を持とうとはしなかった』ととしている。正史にも荀彧伝、郭嘉伝にその名がでる程度で、謎な人物である。戯志才という名の『志才』は、実際には名であるか字であるか不明である。また、姓の『戯』も非常に珍しいとされる。

反応