日下隆
日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 – 2010年12月28日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
兄に大阪タイガースでプロ野球選手として活躍、引退後は政治家となった日下章がいる。息子は育英高校の夏の甲子園優勝監督(1993年)である日下篤。
鳴尾中学から法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中1回優勝。リーグ通算71試合出場、223打数71安打、打率.318、0本塁打、34打点。首位打者1回(1950年秋季リーグ)。
1952年に近鉄パールス入団。翌1953年には開幕から一番打者、右翼手に抜擢され、規定打席(10位、打率.285)にも到達した。1954年は近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。47試合に四番打者として起用され、自己最高の打率.296を記録し、ベストテン6位に喰い込む。同年の23補殺は外野手最多補殺日本記録(2010年5月現在)。しかし1956年以降は出場機会が減少、1958年限りで引退した。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1929年6月19日 |
没年月日 | 2010年12月28日(81歳没) |
身長 体重 |
167 cm 64 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1952年 |
初出場 | 1952年 |
最終出場 | 1958年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
|
|
|
|
監督歴
|
|
|
反応