明正天皇

明正天皇

第109代天皇。奈良時代の称徳天皇以来859年ぶりとなる女帝。父は後水尾天皇、母は2代将軍・徳川秀忠の娘・和子(まさこ)。家康の曽孫にあたる。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。「紫衣(しえ)事件」や3代将軍・家光の乳母・春日局の無位無官での参内などで幕府への怒りが限界に達した後水尾天皇は、突如、女一宮への譲位を表明。これにより、徳川家を外戚とするわずか7歳の女帝が誕生した。古代より「女帝は生涯独身を通す」という不文律があり、後水尾天皇はこれを利用し天皇家から徳川の血を絶やすため明正天皇を即位したといわれる。在位期間は14年あったが、後水尾天皇が院政を敷いていたため、明正天皇が実権を握ることはなかった。21歳の時に異母弟・紹仁親王に譲位、のち出家した。諸芸に秀でたといわれ、明正天皇が描いた「三十六歌仙画帖」が京都の実相院に残されている。

反応