明石全登

明石全登

官位の掃部頭から「明石掃部(かもん)」と呼ばれることもある。別名は道斎、守重、全職。熱心なキリスト教信者でジョアン・ジュストの洗礼名を持つ。
保木城主・明石景親の息子で、宇喜多秀家に仕えた。1600年の関が原の戦いでは、主人・秀家に従い西軍として参加、先鋒を務め善戦した。だが、西軍は敗北、宇喜多家は没落し全登は浪人となった。1614年、大坂冬の陣が勃発すると、豊臣秀頼の募兵に応じ豊臣方として参陣し、活躍する。翌1615年の大坂夏の陣の際も豊臣方として出陣、松平忠直隊に突撃をかけたが、その後、消息を絶った。戦死したとも生き延びて病没したともいわれる。

反応