星誕期偉真智

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星誕期 偉真智(ほしたんご いまち、1965年9月5日 – )は、アルゼンチンのブエノスアイレス出身で陸奥部屋所属であった元大相撲力士であり現在は芸能事務所稲川素子事務所および株式会社KP所属のタレント、DDTプロレスリング所属のプロレスラーである。

芸名は星誕期(ほしたんご)。2000年10月に日本に帰化し、本名を四股名に因んで星 誕期(ほし・たんご)とした。旧名はイマチ・マルセロ・サロモン(Imachi Marcelo Salomón)。大相撲時代は、身長185cm、体重167kg。得意手は突っ張り、押し。最高位は西十両3枚目(2000年1月場所)。

1987年5月場所に初のアルゼンチン出身力士として初土俵。そこから2年余りで幕下に定着した。その後は怪我で三段目に落ちるなど苦労したが、初土俵から5年余りたった1992年9月場所には南米出身の力士で初めて十両に昇進した。新十両の場所は5勝10敗と跳ね返され1場所で幕下に陥落。そこから再十両まで1年半の期間を要したが、再十両で迎えた1994年1月場所では10勝5敗の成績で関取としての初の勝ち越しを決めた。しかしそこから2場所続けて大幅に負け越して再び幕下に陥落。以降も調子が上がらず、一時は三段目に陥落したこともあった。1997年5月場所は東幕下8枚目の位置で幕下唯一の6戦全勝として幕下優勝と再十両を懸けて13日目に7番相撲で星違いの闘牙に挑んだが、左四つの体勢から攻め込んだものの土俵際で闘牙の逆転の左下手投げに敗れて十両復帰の望みを絶たれた。幕下の優勝争いは全勝の星誕期が敗れたことにより1敗力士8人による優勝決定戦に縺れ込み、星誕期は1回戦で敗退して再十両ばかりか幕下優勝も逃した(優勝は闘牙)。
1998年に開催された長野オリンピックでは関取衆が各国の選手団を先導することになった。当時、幕下に陥落していたが人数の関係で関取経験者も参加することとなったため、母国・アルゼンチンの選手団を先導し話題になった。それが励みとなり、34歳の誕生日を迎えた直後の同年9月場所で26場所振りに十両に復帰した。この頃の星誕期は体重が160kgを超え、得意の突き押し相撲に破壊力が増したことが復活の要因となった。再昇格後は35歳にして自己最高位を更新するなど一時は幕内が見える地位まで登りつめたが、東十両8枚目で迎えた2000年7月場所は初日から精彩を欠く相撲が続き、1勝も挙げられず15戦全敗を喫した。十両の15戦全敗は1989年5月場所の鳳凰以来、11年振りの出来事であった(幕内を含めると1991年7月場所の板井以来)。これにより翌9場所には幕下に陥落した。その後も長く相撲を取り続け、陸奥部屋の鬼軍曹的存在として若手力士たちを熱心に指導した。三段目に陥落した2004年1月場所に引退し、翌3月場所には相撲中継のゲストとして幕下の取り組み中に出演したこともあった。思い出に残る相撲は2000年7月場所9日目に時津風一門の大先輩である寺尾と一度だけ対戦した取組を挙げた。

プロフィール
リングネーム 星誕期
イマチ大佐
初日の出仮面(男)
本名 イマチ・マルセロ・サロモン
星誕期
ニックネーム アルゼンチンの巨像
身長 183cm
体重 140kg
誕生日 (1965-09-05) 1965年9月5日(54歳)
出身地 アルゼンチン
ブエノスアイレス
所属 DDTプロレスリング
スポーツ歴 大相撲
デビュー 2006年12月29日
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