李登輝
李 登輝(り とうき、1923年(大正12年)1月15日 – )は、中華民国の政治活動家・農業経済学者。元・中華民国総統(1988年 – 2000年)。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教はプロテスタント・長老派。日本統治時代に使用していた名は岩里 政男(いわさと まさお)。
蒋経国の死後、その後継者として中華民国の歴史上初めての民選総統となった。中華民国総統、中国国民党主席に就任し、中華民国の本土化を推進した。中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、その後さらにこの国のことを「中華民国台湾」と呼ぶようになった。北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、政治の民主化を推進させた。
総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初めての政党台湾団結連盟を自ら中心となって結成し、台湾独立運動・泛緑連盟に影響を与え続けている。
李 登輝 | |
中華民国
第7代(代行)、第8-9代総統 |
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任期 | 1988年1月13日 – 2000年5月20日 |
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中華民国
第7代副総統 |
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任期 | 1984年5月20日 – 1988年1月13日 |
元首 | 蒋経国総統 |
中国国民党
第7代主席 |
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任期 | 1988年1月27日 – 2000年3月24日 |
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出生 |
台湾 台北州淡水郡三芝庄埔坪村 (現: 中華民国 新北市三芝区) |
1923年1月15日(96歳)
政党 |
中国共産党(1946年-1948年) 中国国民党(1971年-2001年) 無所属(2001年-) 台湾団結連盟の精神的指導者 |
配偶者 | 曽文恵 |
署名 |
反応