村井貞勝

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織田信長の側近中の側近で、京都所司代を務めた。
通称は吉兵衛。号は春長軒。おもな官位は長門守、民部少輔、民部丞。
早くから織田信長に仕え、行政手腕に秀でていたことから重用された。1568年に信長が足利義昭を擁して上洛した際もこれに従い、その後は京に留まり二条城の造営や内裏修理、京都御所の修築などを担当した。1573年に信長が義昭を京から追放したあと貞勝は京都所司代に任ぜられ、京の治安維持や朝廷、寺社との交渉・連絡、訴訟の裁定など多岐にわたる業務をこなした。また、京での信長の宿所として本能寺の修築も行っている。京における行政のすべてを一任されていたといえる貞勝について、宣教師ルイス・フロイスは「都の総督」と呼んでいる。貞勝は1581年に出家すると春長軒と号し、家督を子・貞成に譲った。
そして翌1582年、本能寺の変が起きる。この時、貞勝は信長の嫡男・信忠がいた妙覚寺へ駆けつけ、信忠とともに二条御所で明智軍と戦ったが、奮戦むなしく信忠とともに討ち死にした。なお、貞勝の子・貞成も討ち死にしている。

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