松井友閑

松井友閑

出身国については諸説ある。
官位は宮内卿法印。織田信長の側近で茶道に造詣が深く目利きとして知られていたことから、信長上洛後、京や堺で豪商らに名物の茶器を供出させたいわゆる「名物狩り」の奉行を務めたという。また、1574年には相国寺で信長が開催した茶会の茶頭を務め、さらに同年、東大寺正倉院の名香・蘭奢待切り取りの奉行のひとりに任ぜられた。友閑は外交能力にも長けていたようで、1575年の三好康長の投降交渉、本願寺との和睦斡旋、松永久秀や荒木村重の説得交渉などにも当たっている。1582年の本能寺の変後は、豊臣秀吉に仕え堺代官として活躍した。だが、1586年、突如、罷免されてしまう。そしてその後の友閑の消息については知られていない。

反応